個と個と個
少し前の出来事 を振り返っての感情を記述。
江口さん(Kairi Eguchi Design)と学生さんとお食事をする機会があった。ひとまず、自分の場合、大学•専門学校在学中の方々(、もっと言うならば、学生たちの興味や情熱を利用して行動を起こそうとする大人たちに巻き込まれている方々)との交流は割と避けたいと思っている所があるのだが、江口さんがご自身の講義の中で知り合い交流した方である、という事と、この度の集まりはただ単におっさん達が学生さんにお食事を奢ってあげるのが目的である、と理解することで参加するに至る。
自分よりも若い方々が抱いている感情は、おそらく自分の普段の感情と何ら変わりはない。それは、人生の先輩の方々もきっとそうであると思う。自分の存在を、対人関係の中で着飾って交流する関係にはあまり興味を持てないが、この日の交流は自然な個と個と個で成り立っていたと感じた。この出来事が自分には割と新鮮だった。
江口さんは、自分の関わる業界の底からのレベルアップについて、以前より考えを持っていた。私も、自分のやりたい事だけを進めて、総体が極めて美しくなるはずがないと思う。その時々に、総体のカタチが個の感情でエッジなものになり、それを《mode》や《design》として捉え、その変動をある文脈で追いかけた所で、制作の現場のモチベーションはきっと変わらない。中身、核となるものの向上が大前提なんだと心底思う。しかし、今の現状のほとんどは、“これ以上、いかに劣化させないか?”という話題で持ち切りだ。若き才能をその穴埋めにしようと、意識しない所でそういった意味合いの台詞を吐きがちである。自然と若い才能を見つけては取り込んで、また憧れさせようと不確定な総体を定義し、これまた総体でイメージアップを目指すが、自身の手を動かさず生み出さずに、何が創造となろう。
若き才能は、その人が目指す業界の道具では決して無いはずである。ただ無下に「好きな事をしたい」と言っているだけの輩だったら、諭す必要もない。しかし、やる気のある才能に対して、大人達はあらゆる感情を必要以上にぶつけてくる。
この日のデザイナー江口海里のように若き才能たちと接することが出来るのであれば、それは、きっと少しはキレイな総体になっていってくれるのではないかと期待し、また、自分もどこかで「変わらないといけないのかもね…」と反省した。