mineral water
当然な話、テキスタイル製品における図案というものにも、グラフィックデザイン+αの工程があると考える。(いや、テキスタイル図案の文脈においては、近年のグラフィックデザインほど複雑ではなく、その製品規格や製造過程が見えにくいために違う存在にもなっている気もするが…)
洋服になる生地、それには核となる柄…つまりは「図案」が必要だとなったとする。そして、捺染の中でそれを表現する。完全に個人の意見になるが、図案は総柄がスタンダートとは成りにくくなってきてしまっていると感じる。そう感じるにはいくつか理由があるが、何よりも一般的な企画が各製造現場より離れ過ぎてしまっているのが一つの要因だと考える。また、実際に「いいモノを作りたい」「無いモノを求める」感情が、実際に可か不可かどうかの加工現場や製造現場へのリサーチもミーティングも無いまま、感情のしわ寄せが現場に押し寄せる。「こういった技術を活用して新しいデザインを生み出す」ではなく、「自身も具体化出来ていない、未知のデザインを生み出すために何とかしてください(。Noとは言わせない)」というニュアンスが大きいのでは、と感じることも過去に何度か体験した。
私は、総柄の図案が好きである。同等の理由で、ソーイング工程が増えて複雑に見えても、実際はスマートなパターンワークで生み出された洋服こそ、美しいアパレル製品だと考える。総柄を総柄と感じさせない、柄のみが目立つこともない…そういった商品は、実に感慨深いデザインである。そういった洋服は、目に見えない魅力の中で既に人を惹き付けている。
総柄を総柄と感じさせない、また、単調なものを単調に感じさせない、その結果うるさくもしない。テキスタイル図案に触れるデザイナーや企画ならば、誰もが意識することだと思う。一見、同じように見えても、その差を出す事が出来たら、そのデザインに対して、まともな同業者ならば自然と敬意を払うだろう。仮に、それを良識のない考えの下にトレースされたとしても、目撃者たちが必ず居る。今の時代、消費者たちも赤の他人もそれを察知する。数年の利益を生もうが、きっとその先には破滅しか無い。
デザインの構成、それを組み立てるための一つ一つの素材は既に誰もが認知しているものであると思う。それをいかに組み合わせてオリジナリティを出すか、第三者の人生に接点を持ってもらえるデザインを生み出そうとするのか…、そういった感情を持ち、もの作りに関わっている人たちも多くいる。しかしながら、誰もが出来る簡単な話では決してないはずだ。
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コンビニでevianを購入した。2015デザイナーズボトルのパッケージ製品を実際に目撃し、このような感情を抱いた。ブランドの背景を勝手に想像しても、実にこの図案は知的だと思う。